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<人间自有真情在啊!!②/世の中にはホント善良な人がいるのですね!!②>

<人间自有真情在啊!!②/世の中にはホント善良な人がいるのですね!!②>_f0040438_14365110.gif(后续)*孤儿
刚大学毕业的小梅,已经学会把很多事放在心里。她不喜欢和人聊天,不爱谈论过去。她文体活动不好,也不太会处理人际关系。这个长得白白净净的女孩最喜欢做的事,是一个人看小说。电话里,她说话的声音又细又轻,让跟她通电话的警察们“听了就觉得心疼”。但是,自从得知妈妈被害的消息后,这个外表柔弱的女孩却觉得,自己“变成了一只老母鸡”。
她竭力担负起大姐的责任。尽管和两个妹妹分隔两地,但她习惯于遥控她们的生活,甚至干涉她们的所有选择。电话里,她总是拿一些自己听来的大道理教育她们。生活的重担一股脑压在她身上。尽管有吴仁贤等人的捐助,在海南那所大学里读医科的小梅,还是把大多数空闲时间都用来勤工俭学。除了做家教,她平时晚上到学校的食堂打工,到了周末,则跑到附近的动物园里,帮忙检票。
以至于,当别人让她回忆自己的大学生活时,她除了“每年都能拿个三等奖学金”这些话题,竟然说不出太多。“如果你像我一样失去了这么多,你就会对拥有的一切都特别满足。”有一次,她在电话里描述自己的生活态度,像一个久经沧桑的人那样叹了口气,“但你不会懂的。”
有时候,这个有点儿多愁善感的女孩心里也会有很多困扰,她时常发现自己没有可以倾诉的人。久而久之,小梅已经学会用许多有板有眼的句子鼓励自己。她相信“努力就会有收获”,相信“人应该靠自己的双手活着”。这个总喜欢把“自立”挂在嘴边的大姐,一遍遍地教育自己的妹妹们,“只要一家人都过得快乐就好,不要羡慕别人的金钱和财富”。有些话,是从吴仁贤那里听来的,小梅也会在电话里告诉吴仁贤,妹妹们很听话,都把他的话记在心里。
刚找到一份工作的小梅说起自己微薄的工资,还是有点不好意思,但她觉得挺自信。“我没什么太大的野心。”她说,“但我只要努力,一定能把现在的事情一点点做好。”她给吴仁贤打了个电话,告诉他自己终于可以自立更生,养活妹妹们了。
让小梅最高兴的,是两个妹妹也都考上了大学。学幼师的小妹已经开始实习,第一年就被安排做大班的班主任。她把这件事当作天大的喜讯告诉了吴仁贤,吴仁贤也跟着高兴了好半天。
在吴仁贤印象里,除了每次寄钱时的简短交流之外,他几乎从没有听小梅提起过她有什么困难,或是情绪不好。“可能是因为她怕我工作太忙”,吴仁贤说,他们的电话总是很快就挂掉。
但他后来才知道,他是小梅和妹妹之间最常提及的话题,妹妹们早就盼着能见到他。小妹才实习了没多久,她周围的人们就都已经知道她“有一个吴叔叔”了。
有些事情是吴仁贤从来没有听小梅讲起过的。相比接电话,小梅更喜欢读信,因为她觉得,电话挂掉就没有了,而信却可以一遍遍读。几年前,吴仁贤托他的一位同事给小梅寄去一些杭州特产,这位女同事顺手写了一封信附在里面。这封字数不长的信,被小梅仔细地收在身边,心情不好的时候就拿出来看一遍,“不知道看过多少次”。从那以后,她再也没接到过来自这些陌生人的信。直到如今,小梅还是将这封信收藏在自己的相册里,随身带着。她说,这是在她感到苦闷时,能用来抚慰自己的为数不多的东西之一。
*父亲
对小梅,吴仁贤了解得实在太少。每当要向别人形容她时,这个经验老道的刑警总是挖空心思,才能说出“懂事”、“坚强”这样几个干巴巴的词。然后,他会承认,他对小梅其实并不了解。
一直到2008年上半年,他才第一次见到了小梅。那时候,小梅需要实习,他就托朋友在杭州给她安排了单位。为了“避嫌”,他特意喊上了一个朋友到火车站去接小梅,并且带着全家请她吃了顿饭。这次见面并没有给吴仁贤留下太多印象。他只记得,小梅“看上去很阳光”,很懂礼貌,知道如何跟人说话。
不久前,已经工作的小梅到杭州出差,他们又见过一次面。这一次,他们“像家人一样聊天”,彼此也熟悉了很多。但这种熟悉显然并不够。很多问题,他觉得“不好问”。
起初,吴仁贤觉得,自己的打算完全是“顺手帮助一下”这3个孩子。“如果知道这会影响我自己的生活质量,”他字斟句酌地说,“我还真不一定会帮她们。毕竟,我也不是个伟人。”
但时间久了,他却不得不承认,他对这3个孩子好像“已经有了些责任”。
这个捐助者从没和小梅的两个妹妹通过电话或见过面。但他很愿意听小梅转述她们两个人的近况,有时候,在电话里听到她们的好消息时,他会忍不住站起来,脸上充满得意的表情,连笑声都格外大。吴仁贤说,帮了她们这么多之后,每次知道她们一点点地成长和进步,自己都会觉得很欣慰,很快乐。虽然是他在给孩子们钱,他却时常觉得,“自己才是被帮助的那个”。
他有意无意地在掩饰这种感情,并且不大愿意当着别人承认这种责任感。如果被问起来,他会说自己只是“想尽量让3个孩子过得好一些”。但在旁人看来,他却经常像保护自己的孩子一样护着这3个女孩。捐助的事情被媒体知晓后,有记者通过他拿到小梅的电话,采访了她。他觉得对方可能伤害了小梅,心里又生生气又懊悔,从此一概拒绝记者与小梅联系。这个脾气温和的老好人,甚至不惜为此得罪别人。
作为一个老刑警,吴仁贤以判断敏锐、抓捕迅速而闻名。他曾为了追踪一个罪犯,在贵州的深山里呆了几个月,也曾在逮捕罪犯时面临过非常危险的局面。但作为一个父亲,吴仁贤仿佛变成另外一个人。
他的女儿如今正在复旦大学读大四。一提起她,这个一贯谦虚地男人总是变得很骄傲,滔滔不绝地列举她的英语成绩有很好、高考时有多坚强、平常有多懂事。他甚至总结出一套教育经,碰到有孩子的人,常忍不住跟人家分享。
吴仁贤觉得,刑警生涯让自己变得耐心而缜密。他善于揣摩女儿的各种举动,并很小心地避免伤害她。有时候,他能从女儿的一个眼神里,看出她不愿意做某件事,或者从她一句话里听出言外之意。
这份细心,也被他用在了小梅姐妹身上。当初,为了不让小梅因为他们的帮助而感到尴尬,他费尽心思,说话时也小心地挑选语句。为了便于和小梅交流,他特地找几位女警察轮流给她打电话,这样就可以“更多照顾她的内心”。他也希望,这样能避免别人“说闲话”。
连他的女儿似乎也受到了父亲的感染。小梅到吴仁贤家做客时,女儿想送她些衣服,却又不好直说,于是就学足了吴仁贤的样子,装作漫不经心地告诉她,自己有些衣服穿不下了,丢掉又可惜,想给妹妹们穿。
随着小梅和妹妹们逐渐长大成人,吴仁贤忍不住像一个普通的父亲那样,担心她们面对诱惑时会学坏。但他又不敢直接表达这个意思。于是,在电话里,他会小心翼翼地暗示小梅,要靠自己的努力赚钱,不要羡慕别人的财富。当听说小妹在广州实习时,他也觉得担心,希望小梅把他的话也说给妹妹听。
有时,为了把这番话说得更委婉,这个行事果断的刑警通常要考虑半天,费尽心思。直到听别人说小梅觉得对他的帮助“很自然,一点也不觉得尴尬”时,他才笑着吁口气,连说几个“那就好”。
而对小梅来说,除了“很忙”、“人很好”之外,她也说不出关于这个一直在帮助自己的杭州警察的太多特点。在很长一段时间内,吴仁贤的面目在她心里一直是模糊的。
她对吴仁贤一直很有礼貌,连每次打电话之前,都要先发个短信问问他是不是方便。她很少跟吴仁贤提起自己在学校的烦恼。但她却总觉得吴仁贤是自己的亲人,只要想起那个说话慢悠悠的“吴叔叔”,心里就很踏实,“好像什么事都不用怕了”。
近5年的时间里,吴仁贤和小梅很少向对方表达过这种关心和感情,顶多是说一下简单的问候。有时候,吴仁贤甚至会忍不住询问哪些和小梅通过电话的人,打听一些小梅心里的想法。
但吴仁贤却会把小梅发来的问候短信存在手机里,并且拿出来向人们炫耀。去年,在一条节日短信里,小梅说:“在我心里您就像父亲一样!”给别人念这条短信时,这个大男人会有点不好意思地呲着牙,模模头,然后承认心里“还是有点得意”。(未完待续)


(日本語訳:(続き)

*孤児
大学を卒業したばかりの小梅は、沢山の事柄を心の内に学びとっていた。彼女は人とのお喋りを好まず、過去のことを話したがらない。彼女はスポーツが苦手で、人付き合いもあまり得意ではない。この肌の白い美しい娘が一番好きなことは、一人で小説を読むことだ。電話の中の彼女の声はか細く、電話を頼まれた婦警達は「聞いているとたまらなくなるの」と言う。だが、母親が殺されたことを知ってから、この見た目弱々しい娘は、自分は「一羽の雌鶏になった」のだと感じていた。彼女は長女としての責任を精一杯担った。二人の妹達とは離れていたが、彼女は常に妹達の生活をコントロールし、彼女達のあらゆる選択にまで口を挿んだ。電話で、彼女はいつも自分が聞いた世の中の道理を用いて妹達を教育した。生活の重荷は全て彼女の身にかかった。たとえ呉仁賢らの援助があっても、海南にある大学で医学を学ぶ小梅は、やはり多くの空いた時間を働いて学費に充てた。家庭教師の外、ふだんは夜学校の食堂でアルバイトをし、週末になると、近くの動物園に行ってチケットの捥ぎりをした。他の人が彼女に自分の大学時代の話をさせると、彼女は「毎年三等の奨学金を受け取れた」類の話題以外、ほとんど何も話せないほどであった。「もしもあなたが、私のようにこんなにも沢山のものを失ってしまったなら、(今自分が)持っているもの全てに、とても満足できるようになると思うわ。」一度、彼女は電話で自らの人生に対する捉え方を述べたが、まるで長いこと人生の荒波を乗り越えてきたかのようにため息をつき、「だけどあなたにはわからないわね」と話した。
時折このやや感傷的すぎる娘は困惑を抱くこともあったが、その度に彼女は自分には思いをぶちまけることのできる人がいないのだということを思い知るのであった。時の経過とともに、小梅は沢山のそつがない言葉で自分を励ます術を身につけていた。彼女は、「努力すれば結果が出る」ことを信じていたし、「人は自分以外の他人には頼らず生きなければならない」と強く思っていた。この常々「自立」という言葉を口にするのが好きな長女は、繰り返し自分の妹達に「家族が皆楽しく過ごせさせすればそれでいいのよ。他の人のお金や財産を羨んではだめよ」と諭した。そのうちの幾つかは呉仁賢から聞いたものであったが、小梅も電話で呉仁賢に、「妹達は聞き分けがよく、言われた言葉をちゃんと肝に銘じています」と伝えた。
職に就いたばかりの小梅は、自分の薄給について話す時、やはり少しばかり恥ずかしそうではあったが、それなりの自信をも感じていた。「私には別に大層な野心なんてありません」「でも、努力しさえすれば、きっと今よりも少しずつよくなることができると思います。」彼女は呉仁賢に電話し、自分はやっと自立し、妹達を養えるようになったと伝えた。
小梅を最も喜ばせたことは、二人の妹も大学に合格したということだ。幼稚園教諭の勉強をしている末の妹はすでに実習を初めており、一年目にして年長組の担任を任された。彼女はこれを大きな吉報として呉仁賢に伝え、呉仁賢もそれを聞いてずっと喜んでいた。
呉仁賢が覚えている限り、毎回送金する時の手短な交流以外、ほとんど小梅の口から何か困ったことがあるとか気持ちが優れないという話を耳にしたことはない。「たぶん、忙しい私の仕事の邪魔をしてはいけないと思っているんでしょう。」呉仁賢が言うには、彼らの電話はいつもすぐに切ってしまうのだそうだ。だが彼は後になって知ったのだか、彼のことは小梅と妹達の間で最も頻繁に出される話題で、妹達は随分前から彼と会える日を待ち望んでいたのである。末の妹が実習を初めていくらもしないうちに、周囲の人々は皆彼女には「呉叔父さんがいる」ということを知っていた。
呉仁賢が小梅の口から一度も聞いたことがない事もある。小梅は電話に出るよりも手紙を読む方が好きだった。というのも彼女は、電話は切ってしまえばそれで終わりだが、手紙は繰り返し読むことができると思っているからだ。数年前、呉仁賢は同僚に頼んで小梅に杭州の特産品を送ってもらったのだが、この婦警はついでに一通の手紙を添えた。この短い手紙は、大切に小梅の手元に保管され、気持ちの優れない時、彼女はそれを取り出して読んだ。「何度読んだかわかりません。」それ以来、彼女は一度も見ず知らずの人からの手紙を受け取ったことがない。今もなお、小梅はその手紙を自分のアルバムに挟んで保管し、肌身離さず持っている。これは辛い時に、自分を慰めることのできる数少ない物の一つなのだ、と彼女は話す。
*父親
小梅について、呉仁賢が知っていることは本当に少ない。毎回他の人に彼女のことを描写する時、この経験豊かな刑事はいつも苦心惨憺し、やっとの思いで「物分かりが好い」とか「ねばり強い」等といった無味乾燥な言葉を口にする。そして、彼は、自分が実際にはほとんど小梅のことを知らない、ということを認識するのだった。
2008年の前半、彼は初めて小梅と会った。その時、小梅は実習を行わなければならなかったので、彼は友人に頼んで杭州で彼女の為に職場を見繕ってやった。「嫌疑を避ける(:嫌われないように)」ために彼はわざわざ友人を呼んで駅に小梅を迎えに行かせ、また家族を連れて食事をご馳走した。この時の面会は呉仁賢にそれほど沢山の印象を残さなかった。彼が覚えているのは、小梅は「見たところ元気そう」で、礼儀を弁えており、他人との話し方を心得ている、ということだけだ。
つい最近、既に職に就いた小梅は杭州へ出張に来たため、彼らは再会した。今回は、彼らは「まるで家族のように話し」、お互いをよく理解しあった。だが、そうであってもまだまだ不足はある。殆どの質問を、彼は「聞いてはいけないもの」だと考えていたのだ。
当初、呉仁賢は、自分は「ついでに」この3人の子供を助けようと考えただけだ、と思っていた。「もしこれが自分の生活に影響を及ぼすことになるとわかっていたら……」彼は言葉を選んで言った。「私が彼女達を助けたかどうかは本当にわかりません。いかんせん、私も偉人ではありませんから。」
だが月日は流れた。彼は、自分がこの3人の子供に対してどうやら「今となっては責任が生じている」ということを認めないわけにはいかないのであった。この援助者はこれまで小梅の二人の妹とは電話で話したことも会ったこともない。だが彼は、小梅から彼女達二人の近況を聞きたがり、電話で彼女らのよい知らせを聞いた時は、思わず立ち上がり、得意げな表情を浮かべ、大きな笑い声さえ上げた。
呉仁賢は、こんなに長い間彼女達を援助しているうちに、彼女達が少しずつ成長し進歩するのを知る度、自分はいつも満足感と喜びを感じるようになった、と話す。子供達に金を与えているのは彼の方であったが、彼は常々「自分のほうこそ助けられている」と感じている。
彼は意識的に或いは無意識にこういった感情を隠し、また他人の前でこの種の責任感を認めることを好しとはしないのだった。もし訊ねられたら、自分はただ「できるだけ3人の子供たちにいい暮らしをさせたい」と言うだけだ。だが他人の目には、彼はいつも自分の子供と同じようにこの3人の娘達を大事にしている、と映っていた。援助のことがマスコミに知れると、ある記者が彼を通じて小梅の電話番号を知り取材をした。彼は相手が小梅を傷つけたであろうと、憤りと後悔を覚え、それ以降記者が小梅と連絡を取ることを一切拒否した。この性格の優しい善人は、このことで他人の恨みを買うことさえ厭わなかった。
ベテラン刑事としての呉仁賢は、その判断力の鋭さと迅速な逮捕で有名であった。彼はかつてある犯罪者を追って、貴州の山奥に数カ月籠ったことがある。また犯人逮捕時に非常に危険な場面に直面したこともある。だが、一人の父親としての呉仁賢は、まるで全く違う別の人間である。
彼の娘は今復旦大学の4年生だ。彼女のことを持ち出すと、この始終謙虚な男はいつも自慢屋に変わり、滔々と娘の英語の成績がいいことや、受験時にどんなに頑張ったか、常日頃どれだけ物分かりがよいか等を並べ立てる。ひいては一連の教育法をまとめ、子供を持つ人に会うと、それを他人と分かち合いたくて仕方がなくなる、というのが常であった。
呉仁賢は、刑事人生は自分を辛抱強く物事を緻密に考えるよう変えた、と感じている。彼は娘の様々な振る舞いからその意を推察するのに長けており、また彼女を傷つけないように気を配っている。ある時は、娘の眼差しから、彼女がそれをしたいと望んでいないのだということを見て取り、或いは彼女の一言から言外の意を感じ取る。
このきめ細やかさは、小梅達姉妹の身にも及んでいる。以前は、小梅に彼らが援助することで気まずさを感じさせないよう、彼は出来る限り考えて、話をする時も注意して言葉を選んだ。小梅との交流をしやすくするために、わざわざ数名の婦警を選んで順番に電話させた。こうすれば「もっと彼女の心を思いやる」ことができる。また、彼はこうすることで、他人の「陰口」を回避することも望んだのだった。
彼の娘も父親に「感染」したようだ。小梅が呉仁賢の家に招かれた時、娘は彼女に服を何枚か贈りたかったのだが、ストレートに言うのもうまくなかったので、呉仁賢を手本に、何気ない様子で小梅に、着れなくなった服が何枚かあるのだけど、捨てるのも勿体ないから、妹さん達に着てもらいたいのだけど……と伝えた。小梅とその妹達が次第に大人になるに従い、呉仁賢はあたかも普通の父親のように、彼女らが誘惑にあい悪いことを学んでしまうのではと、心配で仕方がなくなった。だが、彼はそれを直接伝えることもできなかった。そこで、電話で小梅に、自分で努力して金を稼ぎなさい、他人の財産を羨んではいけない、と、注意深くそれとなく仄めかした。末の妹が広州で実習すると聞いた時は、彼も心配し、小梅に彼の言葉を妹に話して聞かせるよう望んだ。
時には、遠まわしな言い方を考えるために、この物事を迅速に処理する刑事は長いこと頭を悩ませた。そして、他の人から、小梅が彼の援助について「わざとらしさがなく、すこしも気まずさを感じていない」と言っていたというのを聞いて、初めて彼はホッとして笑い、「よかった、よかった」と何度か繰り返すのだった。
しかし小梅は、「忙しい」「好い人だ」ということ以外、このずっと自分を助けてくれている杭州の警察官の特徴を殆ど言えない。長い間、呉仁賢の容貌は彼女の心の中でずっとぼんやりとしたものだ。彼女は呉仁賢に対してずっと礼儀正しく、毎回電話する前にでさえ、先ずメールをして今都合がいいかどうかを訊ねる。彼女が呉仁賢に自分の学校での悩みを持ち出すことはめったにない。だが、彼女は呉仁賢を自分の家族のように感じていたし、あのゆったりとした口調の「呉おじさん」のことを想いさえすれば、心が落ち着き、「まるで何も心配しなくていい」ように思うのだった。
この5年間で、呉仁賢と小梅は相手に対してこういった関心や感情を表したことは滅多になく、殆ど簡単な挨拶を交わすだけだった。ある時、呉仁賢はどうしても知りたくなり、小梅と電話で話した同僚達に小梅が何を思っているのかを訊ねたこともある。そんな状態ではあったが、呉仁賢は小梅から来た挨拶メールを携帯に保存しており、取り出しては他の人に見せびらかすのであった。去年、祝日の携帯メールに、小梅は「私の心の中で貴方は父親のようです!」と書いていた。他の人にこのメールを読んで聞かせる時、この大の男はちょっと恥ずかしそうに歯をこぼし、頭を掻いて、それから心の中で「やっぱりちょっと鼻が高いな」と感じていたのであった。(to be continued……)
by runrundalian | 2011-02-07 14:50 | 报道・新闻・电视节目

下面我所説的話。。。并非虚構,抑或杜撰。 注:日本語の文章は中国語文の下に載せています。


by runrundalian